光源寺の沿革
当山は、浄土宗のお寺です。
浄土宗は法然上人によって承安5年(1175)に開かれました。
浄土宗の本山は京都の知恩院で、大本山は増上寺(東京・芝)をはじめ7ヶ寺あります。
本尊は「阿弥陀如来」
称える言葉は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶ)」です。
【光源寺の沿革】
天正17年(1589) 神田四軒町に創建
開山上人は還蓮社本誉上人。
開基は仙石権兵衛(石川五右衛門を捕らえた武将)。
山号は「天昌山」、称号は「松翁院」。
慶安元年(1648) 幕府の都市計画により現在の駒込の地に移転
元禄10年(1697) 駒込大観音(おおがんのん)を建立
奈良の長谷観音の写しとして作られた木彫り金箔の観音像建立。
「駒込大観音(こまごめおおがんのん)」として知られるように。
享保8年(1723) 井戸掘削
二代目伊勢屋長兵衛が35歳の時に寄進。
直径約1メートルの手掘りの井戸で、現在も墓地入口に残っている。
大正12年(19)舞殿建立
戦災で焼失するまでの期間が短く詳細は不明ですが、地域で伝統芸能を楽しんだと考えられます。
昭和20年(1945) 戦災焼失
空襲により観音堂ならびに観音像、本堂、書院など、すべての伽藍を焼失。
事前に移動していた本尊と過去帳以外のものはほとんど焼けてしまった。
鐘楼(つりがね)は金属として供出を余儀なくされた。
同年秋、一面の焼け跡にお檀家さまより譲っていただいた茶室を移築、本堂として再出発。
平成5年(1993) 駒込大観音と観音堂を再建
平成16年(2004) 蓮華堂竣工
平成18年(2006) 全伽藍を一新
本堂は戦災で焼失した後移築された茶室を活かした。
玄関ホール、客殿として呉服店の見世蔵や新潟県の古民家を移築した。